70周年祝賀会に出席して
                                 12回生  岩 佐  毅
 
我が母校,中島小学校開校70周年記念おめでとうございます
 私は昭和19年卒の第12回卒業生ですが,まさに感慨無量です。
 当時,紀元2600年と同じ全校生徒数が2600人と云われ,又,函中入学時に,出身校を問われた時に,中島小学校だと答えると,おお下町の名門校だなと云われた事を今も憶えています。あれから幾星霜,旧校歌の一節に,双葉は未だ若かれど,地を割け出づる力あり,大きく伸びん剛健に 我が学園よ中島校 の歌詞を思い出す。


                       
12回生  畑 中 道 太 郎
 記念する式典・祝賀会の案内を受け,式典には都合で出席できなかったが,宴会には腰が軽いので,梁川町のマリエールの会場に足を運んだ。当日の出席者は,ご来賓の市教育長,元校長,元PTA会長を交え,同窓生関係者など百名を超え盛大であった。同期生の出席は少なかったが,メッタにお会いできない教育長や札幌から駆けつけた同期生の岩佐君と親しく話し合えたり,元校長,元PTA会長,卒業生の「あの頃の思い出話」の講演を聴き,ビンゴゲーム抽選会に興じ,楽しい一時を過ごしました。予定されていた2時間はアッと云う間に・・・・。お開き。
 向う80周年記念も,このまま元気でいたら,また参加したいと思っております。

                              15回生  和  田   齊
 木造校舎も60年を経て新築され,その体育館で児童らが70年の歴史を語り,校歌を斉唱する声が館内に響き渡り,学芸会での真剣に,一生懸命歌い,合奏,演技するその純粋さに感動され乍,63年前の自分らと重ね合わせてしまう。衣料・食糧不足,先生も次々と応召され,“欲しがりません勝つまでは”のもと,耐乏生活の日々の中島国民学校時代,我々の時代を決して繰り返してはならないが,近年道徳教育の欠如からか校内への不審者の侵入,家庭内暴力,虐待,誘拐等々罪のない児童が悲劇に巻き込まれるのは本当に悲しい思いがする。記念式典に居並ぶ児童らが安全安心できる環境の中でのびのびと成長してほしいものだ。  
                                  
                                 15回生   中  村   薫
  「光陰矢の如し」と申しますが,もう70年もたったのかと思うと,ひとしお感慨深いものがあります。想い花となり風となって駆けめぐります。久しぶりでお会いする同窓先輩の元気な姿に接し,心温まる思いで一杯でした。
 同窓先輩とのつきない風雪の時の刻みに大いに話題が盛り上がり,生涯忘れることのできない素敵な時間と感動を味わうことが出来ました。この出会いに感謝の気持ちでいっぱいであった。若き星たちの成長を心から祈るとともに,限りない発展を祈念いたします。 

                               19回生   阿 部 タ カ
 華やかに盛大に楽しい一時を味わいました。これも,日々の積み重ねと校長先生はじめ諸先生方と同窓会関係者,地域の理解ある人々のお陰と感謝の気持ちでいっぱいです。當作会長様,長い間本当にご苦労さまでした。
 思い起こせば,この機会にあの人もこの人もいてほしかった。そんな思いがよぎる中,久しくなつかしい人々にお逢いできたことは幸せに思っています。これからも,誇りある中島小の未来を見守っていきたいと思っております。
 ありがとうございました。

                               27回生  伊 藤 一 也
  祝賀会の記念に,同窓会名簿がありました。早々にページをめくると,亡き母の名前を見つけました。そして自分の名前も探し出すと,そこには,得も言われぬ不思議な感じと,深い絆を感じました。又かなりのページをめくり,今度は,子どもたちの名前も見つけます。確かに70年の歳月を刻んできた中島小学校が,私たち親子三代の出発点だったのです。