それはいつもの緑川の発言がきっかけだった
「やぁ諸君、どうせ明日はみんな暇してるだろ」
休み時間開始直後、いつもの傍若無人な発言だったがもう慣れたもので誰も気にした様子はない
しかし緑川は構わず続けた
「明日13時に上磯運動公園で野球の試合だよ。相手はあの稜西高校だ。絶対に負けられない戦いがここにあるってやつだね」
「は?」
信嗣と悠希は思わず顔を見合わせたが、その横で祐里と蒼穹は「応援に行かないと」などとすでに盛り上がっている
「うちのクラスは男子が少ないからね。欠場は認めないよ」
とにもかくにも強引すぎる緑川だったが、なぜかブーイングは起きない摩訶不思議
ただ渡辺貴明が「すまん、どうやっても無理だ」ということで出場を辞退。11人で試合に挑むことが決まった
一方の稜西高校側はというと
「なあ、明日クラス全員で東峰と野球の試合なんだってね。私たち応援行くからさ」
祐里が竜也にそう話しかけると、竜也はへ?という表情を浮かべた
それで竜也は直を呼んで、「聞いてた?」と質問すると「俺も知らん」との即答だったのでだよなと頷いた
「そもそも明日はいつもの”部会”だろ。中止になったん?」
竜也がそう言うと、祐里は首をちょっと傾げながら前方の席にいた裕太郎の肩をポンと叩いた
すると裕太郎は、いつもの不敵な笑みを浮かべてすぐに振り返った
「どうしたの進藤ちゃん。明日俺とビッグバン打線する?これマジ」
いつもの調子だったので祐里は思わずちらっと笑ったが、野球の試合のことを聞いてみると裕太郎はすぐに頷いた
「あれ、杉浦ちゃんと酒樹ちゃんは見てなかった? クラスのグループラインで飛んできてたけどな」
それを聞いて竜也も直もすぐに合点が行った。あぁ、そもそもグループラインなんて見てねえわ、と
「まあ俺もよくわからないけどな。とりあえず明日13時から球場で試合。これマジ」
裕太郎はそう言って再びニヤリと笑った
そして試合当日
竜也と直、そして祐里、梨華、光、夏未の”de 稜西”のメンバーは12時に球場に到着した
しかし何か様子が明らかに変であった
そう、まるで人の気配がない
「あれ、オーシャンでいいんだよな。球場なんて他ねえし」
竜也がそう言うと祐里は「だよねー」と頷いたが、光と夏未はちょっと首を傾げていた
梨華が、「そもそもあんたらはグループライン見たの?」と訝しげに聞くと、誰一人見てないとの回答だったので6人はそろってダメだこりゃ状態
そこでようやく光がグループラインを見ると、そこには驚愕の事実が隠されていた
「13時試合開始。会場は上磯運動公園」
あ、死んだわこれ。竜也は思わず天を見上げた
試合開始前の”アップ”をしていた井場に、竜也からLINEの着信があった
それを見た井場は思わず吹いてしまったが、とりあえず今日の”監督”にそれを伝えた
「今函館オーシャン。これから上磯に向かうので遅れるわ」
そう報告を受けた、”監督”の大城康平は思わず渋い表情を浮かべたがすぐに頷いた
いつまでも いつまでも 走れ走れ 酒樹の車
どこまでも どこまでも 走れ走れ 進藤の車
大城はそう歌いながら、さっきまで書いていたスタメン票の訂正に入った
1番センター酒樹を大野、2番セカンド杉浦を井場に書き換えるだけの簡単な作業だったが
杉浦→井場はともかく、酒樹→大野は戦力ダウンなんてレベルではないのだが、しょせん”親善試合”
1番センター大野、2番セカンド井場、3番ピッチャー笹唐、4番キャッチャー千原、5番サード後藤、6番ライト吉田、7番ショート山崎、8番レフト高宮、9番ホワスト菅原
これが稜西のスターティングメンバー
木田はスタンドで応援団を買って出て、岡田、西日暮里、野々垣、保諸、和多田は都合により欠席。
竜也と直が到着するまでは、ベンチには渡辺だけという悲惨な状況
試合開始前のセレモニーで、メンバー表交換がグラウンドで行われた
本来ならば監督同士が行うものだが、稜西側は”頼りになる男”渡辺が暇なのでその役目を買って出て、東峰側はもちろん緑川がその役目を務める
東峰のスターティングメンバーは
1番ピッチャー高木、2番セカンド緑川、3番ホワスト樋口、4番ショート杉浦、5番サード岡田、6番センター清野、7番レフト川野、8番ライト有沢、9番キャッチャー安岡と書かれていた
わざわざ電光掲示板にスターティングメンバーが表示されるわ、ウグイス嬢によるスターティングメンバーのコールがあってまばらな観衆からどよめきが上がった
そしていつの間にか、外野スタンドには緑川グループが準備した”トランペット隊”がスタンバイしている
鳴り物ありなのね、野球はこうじゃないと
球審敷田、塁審は1塁ボブ、2塁今岡、3塁白井とスコアボードに書かれている
どこまで本格的にやれば気が済むんだろうな、とベンチに座っている悠希は内心苦笑い
ルールは盗塁禁止、パスボールによる進塁も禁止。走者のリードも禁止だが、投球と同時に塁を離れるのは可というまさに体育の授業のノリ
試合は5回まで。延長はなし
笹唐の投球練習が終わり、信嗣が打席に向かおうとすると電光掲示板に”THE DRAGON"と大きく映って、場内から大歓声が上がった
そして流れるのはまさかの『マッチョドラゴン』(by藤波辰爾)だったので、盛り上がりかけた場内が一気に冷え始める
しかし信嗣は気にせず右打席に向かうと、気合満々に素振りを何度か行った
”プレイボール”
敷田が叫ぶと、笹唐は豪快に振りかぶって力感あふれるダイナミックなフォームから繰り出す摩訶不思議な”チェンジアップ”を投じた
信嗣は初球を思わず見送るが、判定はもちろんストライク
「おいおい、初球から変化球かよ。チ●ポコついてるのか?」
清●のような暴言を思わず吐いてしまう信嗣だったが、2球目、3球目と同じボールが立て続けに決まって信嗣は3球三振に倒れた
そして緑川、樋口もそれぞれ1-2、2-2からスイングアウトに倒れ3者連続三振という稜西にとっては上々すぎる立ち上がりとなった
「いやぁ、チェンジアップの連投とは恐れ入ったね」
かすりもせず三振に倒れた緑川は、ちょっとおどけた様子を浮かべてそのままセカンドの守備についていった
「なあ信嗣、あれ本当にチェンジアップか?」
ショートの守備位置につく前に悠希はマウンド上の信嗣にそう聞くと、信嗣は不思議そうに首を振った
「あんなに遅いのにストレートってことあるか? 一応やつは野球部だって聞いてるぞ」
だよなーと思いつつ、悠希はショートの守備位置についた
信嗣は投球練習をパスと言ったので、稜西の攻撃となった
”くさい大野が突撃 嵐を起こせよレッツゴーレッツゴー セカンドサードにホームスチール 大野は風呂に入らない”
敵チームの応援までしっかりこなす緑川隊に尊敬を覚えつつ、すべて直球の真っ向勝負しかできない信嗣の剛腕がうなりを上げていた
大野3球三振、井場はフルハウスまで行ったものの最後は見送り三振。そして笹唐も3球三振と信嗣も負けず劣らずの素晴らしい立ち上がりとなった
まあ信嗣に任せとけばそれくらいはやるだろうさ、これなら俺の魔送球バレなくてええわと悠希は内心ほくそ笑んでいた
2回表東峰の攻撃
4番ショート杉浦悠希くん、背番号3とコールがかかって、スタンドから流れたのは”HOLD OUT"
あぁ、”曲のリクエスト”ってこういう意味だったのね
そしてトランペットが奏でるのは...イントロで流れだしたのが「いい湯だな」だったので、悠希は察した
(ババンババンバンバン)杉浦!x3からの、ピッピ レッツゴーレッツゴー ピッピ ホームランホームラン ピッピ 杉浦
という、あまりにも適当すぎる応援歌が流れ出したので、左打席に入りつつ悠希は思わず苦笑い
そして笹唐がいつもの1球目を投じたのを見送って、悠希は理解した
あぁ、やっぱりね。と
で2球目、コースはまさにド真ん中に来たそれを悠希は豪快にフルスイングすると打球は宇宙間(糸井ism)真っ二つのそれで、スタンディングダブル余裕だった
ライトの吉田が凄まじい気迫で打球処理からの返球だったので、3塁はさすがに無理なやつ
“ミルキィホームズ”が流れながら打席に向かう岡田に向かって、
「チェンジアップじゃねえぞこれ。遅いストレートだ」と悠希が珍しく大声で叫ぶと、東峰ベンチは一様に驚いた様子だった
マジでただの遅いストレートかよ、と。お前本当に野球部なのか?
信嗣は呆れたような笑みを浮かべるのが精いっぱいだった
2回表攻撃中
東峰0−0稜西