「それにしても、よく許してあげたね。幼心には相当響いたんじゃないの?」
こちらも移動中な光が悪戯っぽく笑うと、祐里も笑顔で頷いている
そりゃねぇ。その日はずっと泣いてたよと言った後、ちょっと遠い目をする
「許すに決まってるよ。あんなことされたらさ」
祐里と竜也が“喧嘩”をした翌日
祐里の家で誕生会があったのだが当然のように竜也の姿は見えない
友達からプレゼントをたくさんもらい、ケーキを食べたりする歓談の時間
表面上は楽しそう、そして嬉しそうにしている祐里だったが心は晴れないまま
とはいえ、何だかんだでみんなが帰る時間になって誕生会は終了
祐里はみんなを見送ったあと、家に入ろうとした時にふと郵便受けの中がなぜか気になった
何となく開けてみるとそこには....綺麗にラッピングされて、リボンが巻かれた小さな箱が入っていた
持ってみるとそれなりの重さがあるそれ
宛名も差出人も書いてなかったが、祐里にはそれが誰の仕業か確信があった
お母さんと呼んで祐里は箱を持って走って戻ると、祐里の母は大体察したようで「開けてごらんなさい」と祐里に促す
それで祐里がその箱を開くと中には
可愛いハンカチと、それに包まれた何か
「何だったと思う? サインボールだよ。あいつがずっと宝物のようにしてたやつ」
祐里はそう言ってまた小さく笑った
「前ね、美緒の両親が招待してくれてさ私たちで野球見に行ったんだよね。そしたらファウルボールを偶然拾っちゃってね、私は興味ないから竜にあげたんだけどさ」
そして試合後、興奮冷めやらないまま“出待ち”をしていた時の話
選手はそれぞれサインを求められても挨拶だけしてバスに乗って行ったのだが、引っ込み思案な竜也が「サインください」と呼んだところ、とある選手が立ち止まった
竜也が差し出したボールにサインをして、“キミ、野球頑張れよ!”と言ってにっこり微笑むとバスに乗り込んでいったのだが
「竜がさ、セカンド希望でスイッチヒッターにこだわってるのはその選手に憧れてるからなんだよ。私から見てもあの人カッコよかったからなー」
そのサインボールを毎日大切にしているのは知っていたから、それを“誕生日プレゼント”として送って来たことに祐里は驚きを隠せなかった
え??と思っていると、箱には便箋が一枚折り畳まれて入っている
そこにはただ一言だけ、“ごめんね”と書かれていた
文字は滲んでいるし、便箋自体も皴っぽくなっていた
「祐里、ほら早く電話しなさい」
既に号泣状態だった祐里に母が促すと、祐里はううんと首を振った
祐里は涙を拭うと、ボールを持ってすぐに家を飛び出していた
徒歩5分、走って3分のご近所さん。竜也の家のチャイムを鳴らすと、竜也の母が顔を出す
そして走ってきたのがまるわかりな様子の祐里を見て微笑むと、「上がりなさい。あいついじけてるから」と言って竜也の部屋に行くように促す
祐里は頷いて部屋に行くと、ベッドの上で一人俯いている竜也の姿があった
「竜...これあなたの宝物でしょ?」
不意に呼びかけられ、祐里に気づいた竜也は驚きと戸惑いの表情
祐里はサインボールを竜也に押し付けると、「来て。竜のケーキうちに残ってるんだから。ちゃんと食べてってよ」と言って、無理やり竜也の手を引っ張る
「待ってって。僕まだ謝れてないのに」
竜也がそう言うが、祐里は首を振ってそれを拒否した
「もういいから。ただ次にやったらもう許さないからね!」
そう言った祐里の表情は満面の笑みを浮かべていた
「そっか。あの時から“竜”って呼ぶようになったんだっけね。思い出しちゃったよ」
祐里はまたふぅと息を吐いている
野球部のマネージャーではあるが、基本的に運動は苦手なタイプの祐里。そして屈指の知性派であるがために、運動音痴に定評のある光
悪路が意外にも続き、かなり体力が蝕まれている
季節は秋だが、まだ残暑が残っている時期。今日が曇り空でまだ幸いだったのかも知れない
「そろそろ1回どこかの家で休む? このまま歩いてても竜ちゃん達と会える気がしないわね」
そう言って、光はリュックから水を取り出して一口飲んでいる。口には出していないが、光もだいぶ疲弊しているようだった
ただの“遠足”とは違うわけだから当然ではある
誰がいつどこで襲ってくるかわからない緊張感は半端じゃない
「だね。一休みしよっか。そろそろお昼だしね」
祐里がそう言った矢先、目の前に1軒の家が見えてくる
これは神の思し召しとしか思えないそれ。そう、まさにDestino.
しかし、世界は甘くなかった
家が近づいてくるにつれ、祐里と光は何か胸騒ぎを覚えている。言葉では言い表せない、何か不思議な感覚
家の目の前には瓦礫が広がっていたのだが、そこには....
巨大なレンチ“トーチャーツール”を持って佇む、目が完全に逝ってしまっている田原翔の姿が目に映った
「光...逃げられる?」
立ち止まり、祐里がそう呟くが光は首を振った。無理だよ私たちの足じゃ彼から逃げきれるはずがないと
田原翔、ただのマッチョなお兄さんではない。運動神経も抜群で、平常時は頼りになる少年だった彼
しかし、今はもうその面影はない。目はイキリ切っていて、血に飢えたキチガイと化しているように見える
「狂ったプログラムのパワーバランスを変えてやるよ」
翔はそう言って立ち上がると、祐里と光のほうへ近寄って来る
もうダメなの...?
祐里が思わず天を見上げると、翔の後ろから近づく一つの影
その彼、老け顔に定評のある中丸義信は翔の背後から忍び寄ると跪いてローブローを一閃した
翔は思わぬ出来事に悶絶
何が起きたかわからない祐里と光に対し、義信は「早く逃げろ」という感じで右手で何度も合図を送って促す
それでようやく我に返った祐里と光は、とりあえず義信に頭を下げると慌てて逆方向に走って行った
悶えている翔を見下ろした義信は、ストンピングを一発入れたあとリュックからウィスキーを取り出すとそれを翔に浴びせそのまま何事もなかったようにその場から見えなくなっている
残った翔は一人、股間を抑えたままいずこかへ姿を消した