「私に“ずっと二人で...”歌ってくれてたくせに、ホントあいつ浮気者よね」
竜也が浴室に消えたあと、祐里が思わず愚痴をこぼしている
とはいえ表情はいつもの朗らかなそれで、心からの叫びではないやつ
「へぇ。私と2人でカラオケ行ったときは“あなたといきてゆく”を熱唱してくれたけどね」
美緒がそう言ってふふと笑う
まさかのマウントの取り合いを始める二人の様子は、あながちR1開幕といったところだろうか
そのやり取りを穏やかな表情で眺めていた光だったが、不意に自分のスマホを開くと同時、驚いた表情を浮かべつつ自分のリュックに手を伸ばしている
それに気づいた祐里が、どうかした?と声をかけるが光は反応一つせずにリュックから探知機とは別の端末“パッド”を取り出している
「嘘でしょ?」
光はその画面を見て思わず独り言を呟いている
再び祐里がどうかした?と声をかけると、光は小さく首を振って苦笑してスマホの画面を見せてくる
『渚がね...あぁ、私の姉のことだけど。私がプログラムに巻き込まれてるのに不満で、ハッキングでプログラム終わらせてあげようかとか言い出しちゃって』
そう打ったのを見せると、今度はパッドの画面を見せる
よくわからない“プログラム”コマンドスクリプトが羅列されている画面が表示されていた
『“いつでも首輪解除出来るから”だって。目をつけられて面倒になるから待ってと送ったんだけどね』
祐里は目を丸くして驚いて、「さすが光のお姉ちゃん。頭いいんだね」と言うと、光はすぐに首を振ってそれを否定する
「無鉄砲なだけよ。“光をプログラムから盗み出すのはプロテインを盗むより簡単よ”だって。もう意味わからないし」
確かに意味わからないねそれと美緒は苦笑して同調しているが、祐里は感心した表情を浮かべている
「ホント、光とお姉ちゃん仲いいよね。遠目からしか見たことないけどさ、これ絶対友達じゃないよなーって思ってたんだ」
祐里はそう言って微笑みを浮かべると、浴室のほうを見ている
「竜に何度か教えたんだけどね、あいつ試合中だと全然聞いてくれなくて。集中してるわけでもないくせにさ」
そう、祐里は気づいて何度か“あれ、光のお姉ちゃんかな?”とか竜也に話しかけたことがあったのだが、聞き流す以前の問題で竜也には届いていなかった
「光のお姉ちゃんさ、言い方悪いかも知れないけど“女子アナ顔”だよね。竜に絶対近づけちゃダメだよ」
祐里は一瞬真顔でそう言ったが、すぐに破顔し「近づけても何も出来ないけどねあいつは」と言って嘯いてあははの笑い声
「それはそう。けど美緒ちゃんはどこで知ったの? 球場で遭遇したことないよね」
光は祐里の発言を肯定しつつそう振ると、美緒は静かに頷いてみせる
「塾が同じなんだよね、渚さんだっけ。席が隣のとき、妹が貴女と同じ学校に居るんだみたいなこと話してて。それが1年の時の話だから、もしかしてって思ってたのよね。光ちゃん言わないから、言いたくない事情でもあるのかななーって」
美緒がそう言って光のほうを見て笑むと、光は即座に首を振ってそれを否定
「言う機会がなかっただけよ。同じ学校じゃないから尚更ね」
光はいつもの口調でそう答える
まあ、どうでもいいよねと言って祐里はまたあははと笑っているのを見て美緒もつられてふふと笑っている
ありがとと光が呟いたあと、ちょっと困ったことがあったのよと苦笑して続ける
「渚ね、私より野球に詳しくて。何であんなに打つ打者が1番打者なんだろうって。私答えられなくて困ったんだよね」
光がそう嘆いていると、それはね、と祐里が答える前に別の声が届いた
「その答えは、もちろん...」
いつの間にかそこに立っていたのは、風呂上がりでなぜかロスインゴジャージを身に纏い、パックのコーヒー牛乳を右手にした竜也の姿が
「祐里が答え知ってるから、俺は言わないけどな。まさにTranquilo.あっせんなよ」
お馴染みのフレーズ、ポーズを決めてみせると何食わぬ顔をして美緒の隣の椅子に腰かけてコーヒー牛乳を痛飲している
そのまま竜也は美緒に風呂に入るよう促すが、美緒は祐里が答えを言うのを待っている感じに見える
それで祐里は竜也のほうを見てちらっと笑うと、“いいんだね? 言っちゃって”と今にも白目を向きそうな発言をしつつ続けている
「単に1番多く打順回るからだよ。待ってる間、“ヒマー(村田修一ism)”とか言っちゃうやつだからね、こいつ」
それを聞いて竜也は満足げに頷いてそれを肯定したので、美緒はふふと笑って手を振って風呂へ向かって行った
そして光は祐里が話し終えると同時、なぜかスマホを開いて何か打ち込み始めている
すぐにその手を止めて、ふぅと息をつく光に対して祐里がどうかしたの?と思わず訊くと光は意味深に微笑むだけ
「渚に教えてあげたのよ。私たちが無事帰れる保証はないわけだからね」
ちょっぴり寂しいことを言いつつも、光の表情はいつもの冷静なそれ
どこまで本気なのかわからない様子ながら、すぐに竜也のほうを見て小さく微笑みを浮かべている
そしてすぐに“返事”が来たようで、光はすぐにスマホに目をやると...やがて苦笑していた
竜也と祐里が尋ねると、光は静かにスマホを差し出してくる
そこに書かれていたのは...
『そんな話してる暇があったら早く脱出しろ』
竜也と祐里は互いに目を合わせてポカーンとしていると、光はゴメンねという感じで両手を合わせてみせた
「渚ね、たまに突然こういうモードになる時あるのよ。“ドライ渚”って私は内心呼んでるんだけど」
そして、またしてもすぐにもう一通
『ゴメンね、絶対私が助けるから無茶しちゃダメだよ』
さっきとは打って変わった様子の文章で、それを見た竜也と祐里は完全にフリーズ状態
再び光はゴメンと言ってスマホを受け取ると、小さく微笑みを浮かべた
「でね、すぐこうやって謝って来るのよ。そこがすごい面白くて」
しみじみ話す光の様子を見て、ホント仲がいいんだなーと竜也は内心感心していた