「意外だな。水木は料理全然ダメなのか」
ピアノ線地獄を抜け、しばらく歩いた後また別の民家にいた竜と光
約束通り光が昼ご飯を作ったのはいいが、そこにあったのは見るに堪えない黒焦げの玉子焼きと焼いただけの食パン
それを見て思わず竜は苦笑しているが、光はいたって真剣な表情を浮かべている
「仕方ないじゃないですか。初めてにしては上出来だと思いませんか、これ」
そう言って光は玉子焼きに箸を伸ばして一口食べると、まずっと思わず悲鳴を上げている
続いて箸を伸ばそうとしていた竜を止めると、
「すいません、砂糖と塩間違えただけじゃなく分量も酷いことになってます。人間が食べていいものじゃないです」と涙目になっている
食パンには何もつけずに出してきているので、竜が冷蔵庫からバターを持って来るとそれを光に手渡す
申し訳なさそうに食パンを食べている光を見て、竜は「誰だって苦手なものはあるからな。気にしなくていいぞ」と静かに呟いている
再び光は頭を下げると、「竜さん、函館に戻ったら私に料理を教えてください」と懇願している
わかったと言いつつ、竜も同じように食パンを食べている
二人はすぐに食べ終わると、今後についての相談を開始している
光のプランはこのまま明日の夕方まで身を潜めて、首輪を解除して逃亡しようというものだった
あぁ、いいんじゃないかと竜はさらっと言ったが、実際どうなるかわからないのも事実
そもそも首輪解除がすんなり行く前提で話を進めているのがどうなのかというところだが、光の自信は揺るがない
あの悠も太鼓判を押してくれた居たんだから、きっと大丈夫
「だから、竜さん。その時までよろしくお願いしますね」
光がそう呼びかけると、竜はまた小さく頷いている
「わかった。今日の夜と明日の3食作ればいいんだな」
竜がそう茶化すと、光は顔を赤くしながら被りを振った
違います、そういう意味じゃないですと両手を振って否定する光の姿を見て竜はまた小さく笑みを浮かべていた
わかってる。ちゃんと責任を持って使命は果たすからなと言ってまた遠くを見ている
手元にはまだ銃2丁とマシンガン、ショットガンがあるが刃長との銃撃戦でちょっと使いすぎた感が否めない
あと2回の襲撃に耐えれなさそうなくらいな残量しかなかった
とはいえ、もう2度とあんな目に遭いたくはないと光は思い出している
目の前で人が死ぬのはもう見たくないし、マシンガンや銃なんてもう二度と撃ちたくもないというのが本音
そう言えば私は人を撃っちゃったんだ...思い出すと体が震えてくるのを感じていた
黙って窓から遠くを見ていた竜だったが、一人震えている様子の光に気づくと背後から手を回した
「俺がいるからな。もう銃を撃つ心配しなくていいぞ」
言って、竜は光の頭を軽く撫でる。それで落ち着いたのか、光の体の震えは徐々に収まって行く
「悪かったな。俺が仕留め損ねたから水木に嫌な目に遭わせてしまった」
竜は光から離れてそう呟くと、光はすぐに首を振った
「違いますからね。竜さんが撃ってくれなかったらどうなってたかわからないです。私はただ闇雲にしか撃てなかったんですから」
このまま2人で傷のなめ合いをしそうな空気が漂っているのを感じたのか、竜と光はやがて顔を見合わせてまた小さく笑った
光は内心感じていた。悠がいないと間が持たないというと語弊があるが、2人きりだと空気が妙に重く感じる
適当なことを喋ってくれる悠がこのプログラムという状況を、いかに気分を楽にしていてくれたんだと改めて思わされた
2日一緒に居てわかったのは、竜から喋ってくるケースはほとんどないということ
話題を振れば返してくれるから、頑張って私からどんどん振らないといけないんだな。そう思うと少し困る光だった
光自身、そんなに場を回していくタイプではないので。いっそ無言の空間でも悪くないのかなとも思ってしまった
そもそも竜は無言でいるほうを好んでいるように見受けられる。クラスでもほとんど喋っていなかったわけだし
そこで光は一つのことに思い当たった
「そうえいば悠さんは教室でほとんど喋らなかったですよね。普段から無口な人だったんですか?」
聞かれ、竜はすぐに頷いた。あいつほど空気を読めるやつはいないぞと真顔で答える
こっちが話したくない時は絶対に余計なこと言わないし、間が持たないなと感じれば適当に話題を振ってくれる。俺が学校で話したくないってのを知っているから、教室では絶対に喋らなかったのはそういうことだなと竜はしみじみ呟いている
そこで光はふと思った。どうしてそんなに学校で話すことを嫌がっていたのだろう、ということに
聞いていいのかダメなのか、内心逡巡したがやがてそれを尋ねてみると竜は小さく笑みを浮かべて首を振った
「それは単に俺がガキなだけだぞ。悠が言ってたみたいだが、憧れの人が死んで拗ねてただけ。ハズいんだから言わせんな」
そう言って笑みを浮かべてみせる竜の顔は、普通の高校生そのものだった。この人、こういう表情もできるんだと光は内心嬉しさを覚えている
やっぱり絶対に生きて戻らないといけない。竜のことをもっともっと知りたいと心から感じている自分に気づいた
これってもしかして...
光はその気持ちを今は振り払うことにした。まだ早い。それはまだ...
その光の気持ちには気づいていないようで、竜はすでに窓の外を見つめている
寂しげに見える表情のそれからは、感情がまた読み取れなくなっている。今まで通り静かにその場に佇んでいるだけなのだが、どこか今までとは違うように見受けられる。やはり悠がいないのが内心堪えているんじゃないかな、と光は直感した
そんな時、光の目に一つのあるものが目に映った
もしかしたらこれで、と思い光は手にする
それを持って竜の横にそっと座ると、竜は「ん?」という感じで光のほうに視線を向ける
光はギターを持ってきていた。「私ギター得意なんですよ」と言って軽く弾き始めると、竜は目を閉じてそれに聴き入っている
得意と言ったが、実は地味にブランクがあった。弾いているうちに何度かとちってしまったので思わず光は苦笑していると、竜は「ちょっと貸してみろ」と言ってそれを受け取る
竜は弾き始めると、「憧れの人がベース得意でさ。セッションしようと思って割と真剣にやってた時期あってな」
聴いているうちに、思わず引き込まれそうになるそれ
初めて聴くメロディーなのに心引き込まれる感じさえするその曲
”臆病な恋と歩んだそんな年月でした
いつもより凛々しく見えるあなたに想い馳せる”
そのワンフレーズだけ歌った竜だったが、やがてすぐに一人頷くとギターを光に手渡した
「もっと歌ってください」
思わず光は懇願したが、竜は静かに被りを振った
”僕にとって青春でした
春にねむる初恋でした”
最後のフレーズだけ小さく呟くと、また窓の外に目をやり始めている
一筋縄じゃ行かないなーと光は思いつつ、再びギターを奏で始める
”日曜 昼下がり ありふれた風と
意味もなく歩く街角 キミを見つけた
気づかないフリして すれ違ってみた
キミはただ遠く見つめてたたずんでいた”
光が弾き語りを始めると、竜はまた目を閉じてそれを聴いている。水木、歌上手いなと小さく呟いたのが聞こえて光は内心ガッツポーズ
”雲からのぞく光 一日を始めて
そうきっとキミの夢を守るよ”
歌い終えると、光はそっと2センチだけ竜との距離を縮めた