竜也がわりと山のような場所にあるグラウンドから一気に駆け下りていくと、目の前にゆっくりと歩く光の姿が目に映る
「あら、追いかけて来てくれたの?」
気づいた光がそう声をかけてきたが、竜也は右手を上げるいつもので応えたが止まらずに走っていく
「走るの嫌いなのにね。ホント竜ちゃんは面白いよ」
光がそう呟いているが、それは竜也に届いていない様子であっという間に後姿は小さくなっている
§
学校の敷地からだいぶ離れ、“有名な坂”を駆け下りて行っても浩臣の姿は見当たらない
伊藤くん、どこまで行ったんだかと思いつつ戻るのもまだ早い気がしていた
そんな矢先、スーパーから見覚えのあるシルエットが2つ出てきた
その2人は走って来ている竜也に気づいたようで、それぞれ小さく頭を下げている
「“リュウロ”に、“け”じゃん。何やってるん」
思わず足を止めて竜也がそう声をかけると同時、また別の一人がスーパーから顔を出す
「3人で持って帰るのキツイなこれって、何で竜がいるんだ?」
一足先に走って行ったはずの浩臣がそこにいる。いや、それこっちのセリフと思う間もなく、“け”と呼ばれたボブカットの少女が呼び掛けて来た
「先輩いいところに。監督からジュースの差し入れ何ですけど、持って帰るのがちょっと厳しくて」
2年のマネージャー、黒澤奈乃香。通称“け”が言うと同時、複数の店員がそれぞれ箱や袋に詰めたペットボトルのジュースを運んで来てくれている
ざっと見て50本以上あるそれ。確かに3人じゃ無理だろうというか、そもそもは2人で持ち帰らせようとしていた渡島も人が悪い
「監督は店長に話つけてあるからって言ってたんですけどね。何でも今日休みらしくて」
困惑した感じで“リュウロ”こと貴崎竜路がそう続ける
背格好は竜也とほぼ一緒な一年の野球部員
道理でグラウンドにいないと思ってたら、買い出しに行かされてたのかなどと竜也が内心思っていたが、店員から箱を手渡され思わず重っとぼやいてしまう
「竜が来てくれて助かったな。とりあえず戻るか」
浩臣は軽そうに箱を抱えている。つか、投手にこんな重いなもの運ばせていいのかなどと逡巡していたが、それ以上にさっさと戻ったほうがいいか的な気もしたのでとりあえず戻ることに
道中また遭遇した光は、奈乃香の荷物を半分持ってくれるという優しさを披露
「水木先輩、すいません」
そう言いかける奈乃香に対し、光はすぐに首を振ってそれを否定
「いいのいいの。こういう時はお互い様だよ? 美人さんが困ってる顔を見るの嫌だしね」
“美人”呼ばわりをされ満更でもなさそうな奈乃香に対し、光はこういう時はありがとうって言うんだよと謎のレクチャーをしている
「つか二人は知り合いなん?」
相変わらずな涼しい表情で浩臣が思わずそう訊くと、光と奈乃香はどちらからともなく頷いている
「会うのは初めてたけど、祐里から聞いてたからね。私が引退しても、西陵の野球部は安泰だって。仕事も出来て、私より美人な子がいるからさって」
褒められ満更でもなさそうな奈乃香だったが、祐里先輩も水木先輩も美人じゃないですかと呟いて笑みを浮かべている
「けど、一番美人なのは?」
浩臣がニヤッと笑ってそう訊くと、奈乃香は不敵な笑みを浮かべてもちろん私ですと即答したので竜也と竜路は顔を見合わせて思わず吹いた
§
やがてグラウンドへ5人は戻る
じゃあねと帰ろうとする光に対しては、祐里と渡島が即座に引き留める
「わざわざ運んできてくれたのに、ただで帰すわけにはいかないだろ」
「どうせだし、ジュース飲んでさ一緒に帰ろうよ。もうすぐ練習終わりだしね」
明日は紅白戦、そしてもうすぐ全国大会
オーバーワークにならないよう、無理をしないで軽めの練習に終始しているのが現状
「そういうことだ。杉浦もそう言ってるぞ」
渡島はそう言って去っていくが、当の本人の竜也はコーラを飲みつつ浩臣と並び、竜路を囲んで何やら“密談”をしている様子
「竜ちゃんとあの子...貴崎くんだっけ。仲いいのね」
光がそう呟くと、祐里はああねと言って目を細めている
「色々あったからね。“リュウロ”は竜を慕っているし、竜も“リュウロ”に期待してるんだと思うよ」
祐里がそう言ったのを聞いて、光はキョトンとして不思議そうな様子
それに気づいた祐里が、どうした?と訊くと、光はううんとそれを否定するがすぐにふふと笑みを浮かべている
「竜ちゃん他人に興味ないのにね。ちょっと意外だなって」
光のそれを聞いて、祐里はいつものあははという笑い声
「さすが光、竜のことよく知ってるじゃん」
祐里が茶化すが、光はそれに応えず竜也のほうを見て目を細めているだけ
それで祐里は同じようにそちらを見つめつつ、続けた
「やっぱり考え直すことは出来ないの? 秋の文化祭終わってからにするとかさ」
寂しいのは祐里も同じなのでそう提案してみるが、光は小さく笑みを浮かべて首を振ってそれを否定する
「私だってそうしたいんだけどね。けど、もう決めたことだから」
言って、光はふふと笑みを浮かべて祐里のほうを見つめる
「最後の演奏...竜ちゃん言ってたよね。間奏の場面でギター投げてくれって」
ついこないだ。祝勝会を兼ねたファミレス食事会で、竜也が真顔で言ったアレ
次の文化祭、“世界が終るまでは”を締めに歌う。それで、演奏の途中にギターを投げるパフォーマンスをやろうという提案
「バーカ。そんなことできるわけないじゃん」
「無理ね。ギター壊れちゃうし」
完全否定された竜也は、悲しそうに即座に美緒に電話して何やら話し込んでいたのは今でも記憶に新しい
「何ですぐ美緒に電話するんだろうねあいつ。しかもあの時、妙に満足してたし」
それはそう。祐里や光にちょっと責められると、やたら美緒に電話をするケースが最近多くなっている
「しょうがないじゃない? 美緒ちゃんはいつでも竜ちゃんの味方だしね。私たちは結構弄っちゃうから」
光がそう呟いたのを聞いて、祐里は否めないと思いまたあははと笑った