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入部して1週間、ひとりの部員は明らかに練習についていけずにいた
彼は内心、今日でもう辞めよう。そう決めていた

そんな矢先、同じポジションで守備練習に就いていた3年生のレギュラー部員が唐突に声をかけて来た

「俺でよければ野球教えるよ」、と


§


練習終了後、竜也は祐里と光から「帰りラッピ行くよ」と声をかけられていたので、“りょ”という感じで帰り支度を急いでいた
そんな時、渡島が不意に声をかけて来る

「杉浦、ちょっと時間あるか?」
“先約”があるとはいえ、渡島の誘いを無碍にするわけにも行かないので、祐里と光にはそれぞれ「先に行ってて」とLineを送っておく

部室に戻るとそこには渡島だけ
まあ座れという感じで促され、竜也は渡島の前の席に腰かける

「デートの約束してただろうに悪いな」
渡島がニヤリと笑ってそう告げたので、竜也は苦笑して被りを振る
そんないいもんじゃないですよと続けると、渡島はまたニヤリと笑っている

「明日、紅白戦の後にメンバー20人を発表する。19人はもう決まってるが、賢人の代わりを杉浦なら誰にするかと思ってな」
涼しい顔で渡島がそう告げるが、まあこれはとんでもない事だろと竜也は内心思う
半面、そこまで信頼してくれてるかという嬉しさもあった

「あれ、俺と伊藤くんはベンチ外になったんじゃなかったんですか?」
竜也が軽口を叩いてみせると、渡島は笑みを浮かべたままそれは決まってると返したので竜也は思わず噎せる

「まあ冗談はさておきだ。私は投手を入れて6人体制にするかと思っているのだが、杉浦。君ならどうする?」

多分2年の成田を指しているのだろう。そう言った渡島の表情からは笑みが消えて真剣な眼差し
それで竜也も気を取り直して真顔に戻るが、この質問に対する答えは決まっている

「俺ならあいつ入れますけどね。市予選、道予選でもおススメしたんですけど」
それを聞いて、渡島は小さく頷いてみせる

「貴崎か。セカンドは人数過多だろう」
確かに竜也を含め、万田、安理、那間、御部、そして京介。セカンドを無難に守れるのはこれだけいるのは事実
いざとなったら浩臣をセカンドにするオプションもあるくらいに

「言うて、リュウロはショートも俺より上手いですよ?」
竜也がそうフォローすると、渡島はまたニヤリと笑っている。杉浦より下手なショートなど倉本くらいだろと続けてきたので、竜也はまた激しく咳き込んでいる

「まあ打撃と走塁は捨てがたいな。よしわかった。進藤と水木に恨まれたら困るし、もういいぞ」
話は終わったようだった。それと同時に竜也のスマホが鳴ったので、渡島は私に気にしないで出ていいぞと言わんばかりに促したので、竜也は失礼しますと部室を後にしつつその電話に出る

『早く出てよ。キミがかけてきたときは私、すぐに出てるはずだけど』
美緒からだった。美緒からかけて来るのは地味に珍しいなと思っていると、スマホの向こうで美緒が続けている

『キミがラッピに来ないって、祐里からしつこいくらいにLineが飛んで来て迷惑してるんだよ。早く行ってあげて』
いつもの優しい声でそう言われ、竜也は思わずはハハと笑ってしまう
ホント、いつも美緒に迷惑かけてばかりな気がするよと思いつつ、今から向かうよと告げる

『それは祐里に言ってあげて。私はその場所に居ないんだからさ』
返す美緒の声は明らかに寂しそう
“あんなこと(プログラム)”がなければ、きっと同じ場で、同じ瞬間を分かち合えてたはずなんだよな
そこで竜也は一計を案じた

「そういえばさ...」
竜也がそう告げると、スマホの向こうで美緒が思わず苦笑している

『ホント、キミは無茶ぶりが酷いよ。今日の明日でそれはさすがになぁ』


§


電話しつつ足早にラッピに到着する
じゃあなと切る瞬間には、最初はどこか寂しそうだった美緒の口調に熱が帯びている
名残惜しい感じもしたが、『早く行かないとまた奢らされるよ?』と揶揄われつつ美緒の方から通話を切ってくれた

「やっと来た。こっちこっち」
入るなり、祐里が立ち上がってそう呼びかけて来る
いや、言うほど待たせてないはずと思いつつ竜也は汗を拭いながら席へ向かう

「ごめんな。監督に捕まっちゃってさ」
竜也がそうぶっちゃけると、向かいに座る光は心配そうな表情で竜也を見つめている

「竜ちゃん...やっぱり私と一緒にスタンド観戦決まったの?」
容赦なくぶった切られるが、竜也はそれを苦笑しつつ否定する

「ちょっと話して来ただけだよ。詳しくは言えないけどさ」

さすがに内訳は言えないのでお茶を濁す感じでそう返すと、席を光の隣に移した祐里もちょっと不安げな眼差し

「私たち心配してるんだよ? 夏大会あれだけ打ってたあんたがさ、今じゃあのざまなんだから」
言いつつ、祐里と光は“呼ばれた”ので料理を取りにカウンターへ向かっている

あ、俺注文まだだったと竜也もカウンターへ赴くことに

祐里と光が食べているのを黙って見ているのは辛いので、いつものようにドリンクバーのコーラを嗜んでいると光の視線が急に鋭くなる

「竜ちゃん。ダメだよ、コーラばかり飲んでると『選手がコーラ飲んでる』って通報されちゃうよ?」
真顔でそう言う光に対して竜也が返答に困っていると、祐里があははと笑って光の頭をこつんと叩く

「竜からコーラ取り上げないで上げて。ヒット打てなくなったらどうすんのさ」
祐里がそう茶化したが、光は真顔のまま何度か首を振ってみせる

「飲んでも今は打ててないよ? ヒット打つまでコーラ禁止にするのも手だと思うよ」

そっちのけで議論が繰り広げられているのをよそに、竜也はコーラを飲みつつチャイチキバーガーを無事堪能していた