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帰り際、竜也は光にこう嘯いていた
「明日、サインペン持ってきて」

またバカな事言ってると思いつつ、光はしっかりと持参して“紅白戦”の観戦に赴いている

試合開始前、光に気づいた竜也は小さく声をかける

「持って来た?」
その問いかけに光が頷くと、竜也は無表情のままサムズアップポーズをしてみせる

「まあ見てて。新しい景色見せてやるから」

そう言って立ち去ろうとする竜也に対し、光は容赦ない一言を浴びせる
「そもそも試合出られるの? 昨日までの竜ちゃんなら、もうノンテンダーでしょ」

「スタメン。紅組の1番セカンドだから」

言うと、いつものように右拳を上げてその場から去って行った


§


ウォームアップが終ったあと、選手はそれぞれ守備位置に散っている
主力はほぼ紅組で、白組は隙あらばベンチ入りを狙おうという下級生中心

白組の先発は、常に怒っていることでお馴染みの成田だった
最後の1枠をかけた最終試験といった趣きすら感じられるが、竜也にとっては関係のない話

「杉浦ちゃん。そろそろ打ってどうぞ」
2番ホワストでスタメン起用されている高井孝之がネクストに向かいつつそう声をかけると、竜也は黙ってバットを片手に右手を挙げてみせる

最初は外で見ようとしていた光だったが、祐里に促され特別に一塁側ベンチに招き入れられている

「暑いんだから、ベンチで見て行きなよ。監督いいですよね?」
渡島はいつものように不敵に笑みを浮かべたまま頷いたので、光はベンチに座って戦況を見つめることに

球審を務める那間のプレイの声と同時、成田が投じた初球だった
左打席に入った竜也の胸元に投げ込まれた渾身のストレート、カキーンという快音が響くと同時にとんでもない速さのライナーで打球が飛んで行った

白組のセカンドを守る貴崎竜路がジャンプで取れると思ったはずの低い弾道のそれ、急に角度を上げてそれはあっという間にライトの天満典正が唖然と立ち尽くして見送るそれは、フェンスをオーバーする先頭打者ホームランになった

マウンドで呆然と立ち尽くす成田、そして着地に失敗して尻もちをついて驚いている竜路を尻目に、竜也はベンチの光に向かってドヤ顔で指差しポーズを決めてみせる

「おい。本番に取っておけよ」
ベンチで渡島はやれやれのポーズを取って呆れたように苦笑している横で、“ホームランボール”が天満から届けられた

「そういうこと。だからサインペン持って来いって言ったの?」
光が感心したように呟くと、竜也は苦笑しつつ首を振る

「これ備品だから。さすがに私物にサインしたら怒られるわ」
竜也がボールをグラウンドに戻すと、渡島は当然だとばかりに頷いていた

「だから...こっちを送ろうと思って」
竜也は言って、今日履いていたいつもと違うバッティンググローブを外して渡す
普段つけてるやつは祐里の手前、ゴメンということで“新調”したそれをプレゼントという粋な計らい

「ったく。どんだけ役者だよ」
やり取りを笑いながら見ていた浩臣だったが、孝之がヒットで出塁したのを受けネクストへ向かっている

「ほら、早くサインしてあげなって」
祐里が促すと、光はグローブをそれぞれ広げてアピール

自分で言っておいて、いざするとなるとちょっと照れ臭い
ましてチームメイトがそれぞれ見守る中での“サイン”なわけで

例によって、あるレスラー丸パクリのサインをそれぞれ書き終える
試合はというと成田はすっかり調子を崩したようで、3番の京介、4番の浩臣にもヒットを浴びて孝之が生還している展開で、たまらず右内が投球練習を開始している

「さて、いいもの見たからもう行くね。塾行かなきゃだから」
おもむろに帰ろうとする光に対し、試合中なのに平然とちょっと見送ってきますと竜也も一緒にログアウト

あんた、守備どうすんのという祐里の声に対し、渡島が進藤を代わりにセカンドに入れておくぞとまさかのアシスト

とはいえ、さすがに遠くまではアレなのでグラウンドの出口で見送ることに
やんやと選手の声が届く中、光はふふと笑ってちょっと照れ臭そう

「さっきの手袋、片方は渚にあげるわ。あの子も甲子園行くって張り切っててね」
水木家はお金持ちなんですね、うちなんて親すら来る気ないですよ、と


閑話休題
どうしても光に伝えたいことがあってわざわざ来たわけで

「ちょっくら優勝してきます。光がフランス行くのは夏休み終わってからになるな」
まさかの優勝宣言。光は一瞬ぽかんとした様子だったが、やがてまたふふと笑みを浮かべている

「さすがに厳しいでしょ。初戦で負けるとは私も思ってないけどね」

しかし竜也には根拠がある
浩臣は函館予選、道予選通じて防御率は0。それを支える久友、右内も十分全国級で、さらに高井に須磨まで控えている投手陣は出場校屈指じゃないかと踏んでいる
そして打線も千原、岡田の長打力はレベルが高く、京介や浩臣のシュアな打撃も評判がいい

「まあ、7割打者の竜ちゃんが甲子園でも変わらず打てればベスト8は行けるかもね」

光はそう茶化しつつ、右手を振りながら去っていく
まあ俺が7割はともかく、5割を打つ前提の話なのは事実
正直そこまで打てるかはさすがにわからないけれども

「まあ頑張ってね。プロ特注の杉浦竜也くん」

光がふと立ち止まってそう呼かけていたが、それはない。そもそも取材すらされたことないしと思いつつ、竜也は右手を挙げてグラウンドへ戻って行った