竜也がベンチに戻ると、すでに攻撃が終わったようで浩臣が近藤相手に投球練習を開始しているところだった
それで慌ててグローブを持って守備に就こうとすると、渡島が笑って“セカンド”を指差している
ん? という感じで竜也がそちらに視線を向けると、安理と万田がセカンドのポジションを奪い合っている光景
俺が。いや僕が、という感じでどちらも一向に退こうとせず、ショートの京介は苦笑している状況
投球練習中、浩臣はベンチに戻った竜也に気づいたようで早くセカンドに来いという感じでグローブで促している
根本的に揉め事をとにかく嫌う竜也は一計を案じたようで、渡島に何か一言告げるとグラウンドへ駆けて行く
祐里が何かあったんですか?と訊くと、渡島は笑ってショートのほうを指差している
竜也は何事もなかったようにショートの位置に就くと、京介に対してセカンド行って。監督命令と指示を出す
マジかよという感じだったが、京介がベンチを見ると渡島が黙って頷いてみせたので渋々セカンドへ向かう
揉めていた万田と安理だったが、監督命令ということでお互い渋々外野へ向かっている
遅ぇーよと浩臣が声をかけると、竜也はゴメンという感じでわざとらしく両手を合わせてみせた
白組の1番は千原
レガースを外したりと時間がかかっていることもあり、打席に入るのが遅れている
竜也をマウンドに呼び寄せた浩臣はセカンドに行けと指示を出しているが、竜也は被りを振ってそれを拒否
「もしかしたらショート守るかもじゃん」
真顔で竜也がそう返すと、浩臣は思わず破顔している
「やべえなそれ。俺がセカンド守るってことじゃねえか」
なかなか千原がベンチから出てこないと思ったら、なぜか打席には冬井が向かってきた
「千原、テレビ局の取材だってさ。その後監督お願いしますって言ってました」
冬井がそう伝えると、渡島はやれやれという表情を浮かべたまま“ログアウト”している
なぜかその後の進行を託された祐里が、“再開”と声をかけたので竜也はショートの守備位置に戻ることに
昨日までが嘘のように、浩臣のボールは唸りを上げている
冬井を真っすぐ3球続けての空振り三振。最後はど真ん中のストレートなのに、近藤が捕球し損ねるレベルの威力
さすがに振り逃げは許さなかったが、両軍から思わずどよめきが起こるそれ
ちゃんと取れよ、と浩臣はグローブで合図を送ると近藤はすまんすまんという感じで頭を下げている
紅組の捕手を近藤にした理由
千原に何か起きた場合に備え、主力組の投球に慣れさせようという判断だったが、本気の浩臣の投球は厳しそうだった
続く2番は貴崎竜路
竜路が左打席に入ると同時、竜也は京介に1、2塁間を狭めて守るよう指示を出す
返す刀でサードの樋口にも3塁線を放棄してショートの位置まで動かさせ、自分は2塁ベース後方に陣取ってみせる
竜也以上にプルヒッターの竜路に対する“リュウロシフト”をお披露目すると、打席の竜路は驚いた様子
「おい、セーフティバントされたらどうすんだよ」
浩臣は思わずそう叫ぶと、竜路はニヤッと笑ってバントの構えをしてみせる
それで浩臣もニヤリと笑って、ボールの握りを見せて挑発する
「縦のスライダー。これ打てたら竜より上だぞ」
浩臣がそう挑発すると、竜路はバントの構えを解いて普通に構えている
そして初球
予告通り投じたスライダーを、竜路はまさかのジャストミート
浩臣の頭上を越えたそれだったが、おあつらえ向きにそこで守っていた竜也が何事もなく華麗にジャンプしてキャッチ
マジかよという感じで唖然とする竜路に対し、竜也は右人差し指で自分の頭を指している
「ったく、美味しいとこは全部持ってくわ」
言いつつ、浩臣はグラブを竜也の方へ向けて称賛のポーズをみせると、竜也も右拳で胸を2回叩いてからの拳王ポーズでそれに返している
続く3番の御部をまた真っすぐオンリーで三振に仕留めて紅組がベンチに戻ると同時、渡島が何事もなかったようにベンチに戻って来る
「伊藤、杉浦。君たちは交代だ。あと、紅白戦を取材するからカメラが来るぞ」
なぜか交代を告げられ浩臣と竜也はそれぞれ不満げな様子を見せると、渡島はすぐに気づいて2人にそれぞれ呼びかける
「伊藤は転校して来てるし、杉浦はプログラムからの“出戻り”。痛くもない腹を探られるのは面倒だろ」
渡島の配慮だった。今までも“余計な取材”を全てシャットダウンして、あくまで試合に専念出来るようにという心配り
それを聞き、浩臣と竜也も素直に従って頷くと同時、竜也は白組の竜路を手招きで呼び寄せる
試合中だったので急遽球審だった那間がセカンドの守備に就く羽目になり、竜路と竜也はそれぞれ頭を下げてみせる
「さっきのアレ。なんでヒットならなかったかわかる?」
竜也がそう問いかけると、竜路は少し逡巡したあとに首を傾げている
そのやり取りを黙って見ていた浩臣だったが、水に手を取りつつ話に加わって来る
「しかしいい当たりだったな。竜ですら初見空振りしたボールやで」
感心したように浩臣がそう言うと、竜也は呆れた感じの表情に変わる
「ホンマそれ。初見でジャストミートされてブチ切れしたやつもいたけどさ」
§
“新入生歓迎レセプション”というのが西陵野球部にはある
入部した1年生が初日に、『気持ちよく打たせてあげる』という感じのそれ
竜也も投手役として2人ほど相手していたが、肘に違和感を感じて3人目の竜路が打席に入る時に浩臣と交代
その初球だった
浩臣が投じた“自慢の縦スラ”(そもそもこのレセプションで投じるべき球じゃないそれ)を、竜路はものの見事にジャストミート
1塁線を抜けたかに見えたそれは、惜しくもファウルだったが、それで“本気モード”に突入してしまった浩臣は、その後すべて竜路から空振りを奪ってご満悦だったアレ
§
「貴崎、あの時は正直スマンカッタ(佐々木健介ism)」
今更ながらに浩臣が謝罪するが、竜路はそれをスルーして竜也に逆に質問を始める
「先輩、何で初球あんなフルスイング出来たんです? 完全な狙い撃ちだったじゃないですかあれ」
それを受け、竜也は真顔のまま小さく頷いている
「成田はさ、左右の揺さぶりが得意な投手じゃん?」
竜也の問いかけに竜路は即座に頷いたので、竜也はそのまま続ける
「カットボールとツーシームが武器で、左打者の初球にはインハイを投げることが多いのよ。で、所謂紅白戦だからぶつけるのは嫌だって心理もあるからさ、カットじゃなくシュート回転気味のストレートが来るだろうなーって」
まあ、ホムラーン打てるとは思ってなかったけどなと竜也が苦笑して締めると、竜路は感心したように頷いた
おーい、杉浦の打順だぞーと声がかかったが、“交代”を告げられているので竜也が困惑していると、即座に渡島が立ち上がって「代打貴崎」と告げる
「監督、貴崎は白組ですよ。スコアつけてる方の身にもなってください」
“白組”のベンチから、黒澤奈乃香が大きな声でそう叫んだのが届き、渡島は肩をすくめるポーズをして何事もなかったように着席していた