「もっと強い西陵を見せてくれ~。樋口、西陵の救世主だろ~?」
壮行式でのハプニング
壇上に選手が勢揃いして、校長のありがたいお話が終わった直後の出来事
次は主将千原が意気込みを話すという場面のはずだったのだが、見ず知らず。どこからともなく現れた中年の女性がいきなりそう叫んでいた
マイクなしで体育館中に響く素晴らしい声量
いや、そういう問題じゃなく。全校生徒に教師陣がいたというのに、なぜこんな侵入を許してしまったかというお話
もちろんその女性は屈強な教師陣に囲まれ、無事フェードアウトして行ったが
その後、千原と渡島の話が終わり無事壮行式は終わり、その流れで終業式まで済ませるという自由すぎる西陵高校
「アレしてくるぜ!」
千原がそう宣言すると、全校生徒は大いに盛り上がった
いや、あんたも同じ考えでいてくれたのは正直嬉しいなと竜也は感じていた
放課後、午前中だけ軽い練習をやって午後はオフということになっている
例によってファミレスからのカラオケというのが今日の流れ
日焼けするからまたベンチで見てれば?という誘いを光はさすがに辞退し、時間なったらファミレスに行くからと言って帰って行った
竜也と浩臣がいつものように軽いキャッチボールをしている横で、安理が念入りに素振りを行っている
昨日までと一変したフォームのそれで、思わず竜也と浩臣は目を見張っている
「玉子どうしたん。Youtubeかなんかで指導受けた?」
浩臣が思わず尋ねると、安理は一旦スイングを止めて真剣な表情で竜也と浩臣の方に向き直った
「昨日バッセン行ったんだよね。そしたらさ、『君は上体が突っ込むから、それを修正してしっかり“割れ”を作って打ちにいけ』って言われてね。目から鱗が落ちる思いだったんだ。それからしばらく、タイミングやバットの出し方、間の取り方だったりを指導してもらったんだ」
得意気に話す安理に対し、竜也と浩臣はどこかで聞いた“嫌な単語”が聞こえたので思わず二人で顔を見合わせている
「なあ玉子。その教えてくれた人ってどんな感じだった?」
竜也が思わず訊くと、安理は不思議そうな表情をしたが素直に答えている
「僕より少し背が高かったかな。172か3くらいで、視線は鋭いけど優しそうな人だったよ」
それを受け、竜也と浩臣はまた目を見合わせてどちらからともなく首を振った
「やつだな」
「だね。最悪」
安理に聞こえないようお互いにそう呟くと、あんま意識しない方がいいぞそれと浩臣が忠告してその場は終わった
§
“飯は割り勘杉浦 リボ払い~♪”
それぞれ『私服』に着替え済みの3人がファミレスに着席している中、祐里がとんでもない曲を口ずさんでいる
しかし竜也と光はそれに触れず、『割れ』についての話をしている
「どうして意識しすぎたらだめなの?」
光が素朴な質問をぶつけると、例によってコーラを欠かさない竜也は即頷いて返答している
「いや、理論は間違ってないんだけどさ。けど、そんなこと考えてたらピッチャーのボールに間に合わないって。ぜーんぶ着払いになっちゃうって話」
言って、いい加減その歌やめろという感じで祐里にLINEをバース掛布岡田よろしく3連発で送りつけている
「着払いって...相変わらず竜ちゃんの表現は独特よね」
光が感心していると、祐里は竜也からのLINE爆撃に気づいてあははと笑っている
「今日でしばらく、光とカラオケ行くの最後になるんだからさ。あんた、空気読んだ曲歌いなさいよ?」
ダチョウ俱楽部のような“振り”なのか、ガチで言っているのか。祐里のそれは表情から読み取れず、竜也はいつものように不敵な笑みを浮かべている
「あいつさ、最近無駄にカッコつけて歌うんだよね。“世界が終るまでは”なんて特に酷くてさ」
竜也がドリンクバーに向かった隙に祐里が光にこう呟くと、光はそれを窘める感じで指を口元でちっちっというポーズ
「陰口みたいなことは言っちゃダメ。私も好きじゃないし、竜ちゃんも絶対に嫌がるから。もしまだ言うなら...わかってるわよね?」
口調こそ優しかったが、光の視線はいつもの鋭いそれ。予想外の展開に祐里は驚き、迷わず頷いてその場を取り繕うことにする
しかし当の本人の竜也はなかなか戻って来ない
どうしたことかという感じで、祐里と光がそれぞれ目を凝らすと竜也はスマホ片手に誰かと電話している様子
「珍しいね。また美緒ちゃんかしら」
光が呟くと、祐里は違いないねと即座に頷きながら続ける
「あいつの表情見ればすぐわかるよ。美緒と電話してる時と、他の人と話してる時じゃ全然違うから」
言って、祐里は少し悔しそうに天を見つめている
光は内心、あなたと話してる時も十分楽しそうだけどねと感じていたが、あえてそれは口に出さないでおいた
しばし後、竜也はようやく戻って来るが変わらずスマホで電話中のまま
「美緒と?」
祐里が思わず訊くと、竜也は小さく首を振って「松村だよ」と返す
「未悠ちゃんか。これは意外だった」
光がまた呟くと同時、竜也はまた今度なと言ってその通話を終えている
「あんた、松村と全然連絡してないって言ってたのに」
祐里が茶化すと、竜也は苦笑してそれに同意している
「美緒と祐里からメンバー入りを聞いたよって。何で連絡してこないの?って逆切れされたわ」
3件くらい無視されてたんだけどなーとこぼしつつ、またコーラを飲んでいる竜也に対し光が自分の持っていた水と取り換えて、「アクア!(ロナウドism)」とまさかのギャグをかましてくる
「さて、そろそろカラオケ行く? ここでゆっくりして行ってもいいんだけどさ」
祐里が促すと、竜也はわざとらしく左腕の時計を見て小さく首を振った
「もちょいゆっくりすんべ。飯食ってすぐは声が出づらい」
訳の分からない理屈を述べると、祐里と光はそれぞれ小さく微笑みを浮かべると小さく頷いて同意していた