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カラオケに到着すると、思いのほか混んでいる

「竜がゆっくりしてから行こう言うからじゃない」
祐里がジト目でそう言っているが、竜也と光は気にも留めずにカウンターで受付中

「時間どうする? フリー(タイム)にしておくか?」
竜也が呼び掛けて来ると、祐里はだねと頷いて同意を示している

「ふふ。8時まではさすがに歌わないけどね」
光はそう言っていつもの静かな微笑みを浮かべている


§


祐里、光、竜也の順で歌い始めている
それぞれ思い思いに歌っているのだが、竜也の選曲がいつも以上なアレ

「あんたさ、空気読んだ選曲しろって忠告してたのに」
祐里が呆れた感じで光に話しかけている中、竜也は“僕らのスペクトラ”を熱唱している
音程がだいぶ外れているのに絶叫シャウトして本人は満足そうにしていて、光もそれを見て楽しそうにしている

「自分が好きな曲を歌うのが一番よ。もうこれで本当にお別れ、ってわけじゃないんだしね」
光はそう答えているが、祐里は内心不満げなまま。念を押したのが裏目ったのかなーなどと考えていると、歌い終わった竜也は一人頷いていた

86点台と酷い点数を叩き出したにもかかわらず、なぜか満足気な様子で光のほうを見て竜也はニヤリと笑みを浮かべている

「次の曲。光のためにとっておきのやつ準備して来たからさ」
妙に自信満々なそれだったが、祐里は当てにしない方がいいよと光に警告している

「絶対前振りでしょ。あんたがマジになるのは美緒といる時だけだし」

言って祐里は自分の番なので、いつものように“ザ・祐里”な曲を歌っている

「ふふ。ホント祐里は何歌っても上手いよね」
光がそう竜也に話しかけているが、いや光も十分上手いと思うよと竜也は率直に感じている
しかし褒めても喜ぶどころか、謙遜して遠慮気味になるのが目に見えているので敢えて小さく笑みを浮かべるだけにとどめていた

「光ってさ、洋楽以外は歌わないん? たまには俺が知ってそうな曲とか聴いてみたいんだけど」
竜也に“リクエスト”され、光はちょっと思案顔
そしてすぐにいつもの、ふふという笑みを浮かべ小さく頷いた

「じゃあ選ばせてあげる。“タッチ”と、“beloved~桜の彼方へ~。どっちが聴きたい?」
あまりにも想定外な曲2曲を提示してきたので、竜也は思わず苦笑している
多分、タッチは最近見せた『タッツ』の悪影響だろうし、『桜の彼方へ』は以前この歌いいよとおススメしたやつ
光のことだし、1回は聴いてくれただろうけどそれで終わりと思っていただけにまさかの事態

「じゃあ...beloved~桜の彼方へ~でお願いします」
“割れ”という言葉が、妙に不快なので桜の彼方へをリクエストすると光は微笑みを浮かべたまま頷き、リモコンを操作している

いちいち所作が絵になるよなーなどと考えているうち、祐里の曲は終わりを迎え光の番へ
特徴的なロック調のイントロが始まると、竜也は待ってましたという感じで頷き、珍しい選曲だからなのだろう、祐里は意外そうな表情を浮かべている

『farewell 切なさ残酷で響く』
画面にはこう表示されているのだが、光はいつもの冷静な表情のまま全然違う歌詞で静かに歌い始めている

“君のドレスが染められて 紅く誰かの世界に”
音程は竜也も知っているそれなのだが、歌詞は見たことも聴いたこともないやつ
祐里も驚いたようで目を丸くしているが、光はいたって冷静にそのまま歌い続けている

“愛しはじめた時からずっと
傷つけてしまったけれど
心が壊れ泣いていた靴 今
涙の色は神秘的だね 忘れられない約束
君の涙が優しさをくれたと 今”

“時代は流れて感じないほど
僕は変わってしまった…
時代に刻まれ償える日がきたら
この約束の想いを君に
いつか再びその日が 触れられるなら
ずっとこの手で 彼方へ”

最初のうちは歌詞が違うことに驚いていたが、最後の方は圧倒的な歌唱力に驚くそれに変わっていた
歌い終わった光が思わず大きく息をついたのと同時、竜也は無意識でスタンティングオベーションをしている
祐里は鳥肌立ったと言いつつ、光をまじまじと見つめている状況

「次の文化祭、ボーカル光だわ。竜は後ろでカスタネットでも叩いてて」
思わず祐里が酷い暴言を吐いているが、それを否定できない空気感でその場を支配されてしまった

「ふふ、私はもうその時日本にいないわよ」
静かにそう告げる光だったが、どこかそれは寂しそうに見えた

余韻が収まり切らぬ中、次は竜也の番
しかも“光に送る”などと大言を吐いてしまっている後の祭り状態。あぁ、返す返す“ロード”を入れなくてよかったとしみじみ感じている

慣れた手つきで竜也はこれしかない、と思った曲を入れる
間もなく、イントロが流れ出したので竜也は徐に起立していつもの両手マイク握りを始める

「聴いたことないね、これ。けどあいつ珍しくマジな表情してるよ」
祐里が光にそう茶化したように話しかけているが、光の視線は竜也に向けられている
そして竜也は歌詞が出ている画面のほうを見ているかに見せかけて、目を閉じて完全に“なりきって”いた

“素敵な別れさ 出会いの未来があるから
夢かなう日まで 今はここでそう Bye For Now”

いきなりサビから始まるそれ
『夢を叶えるために、未来の自分のために、海外で新しいことにチャレンジすることを決めた』人に贈ったとされる、色褪せぬ名曲を竜也は真摯に歌い上げている

いつもは無駄に聴かせるだけのビブラートやしゃくりがいいアクセントになっていて、祐里が思わず「またカッコつけて歌っちゃって。でもそれがいいんだよなぁ」などとボソッと呟いていたが、やがて光の様子に気づいてまたいつも以上に目を丸くして驚いている

“君の旅立ちを 誰にも止められない 心に決めた 君だけの勇気だから”

光は目からあふれる涙を抑えきれないといった感じで、既に号泣状態。祐里が思わずハンカチを手渡したが大丈夫、大丈夫と言ってあえてそれを受け取らずに静かに竜也の歌を聴いている

“素敵な別れさ 出会いの未来があるから
夢かなう日まで 今はここでそう Bye For Now

すべての明日は いつだってきっと君の味方さ
夢かなう日まで 今はここでそう Bye For Now”

ほぼ目を閉じたままだったので今の状況に気づかないまま、完璧に歌い終えてドヤ顔で光の方に向き直った竜也だったが、そこで光の“異変”に気づいて驚いた様子を隠せない

「え、俺なんかやらかした?」
思わず祐里にそう訊くと、祐里は苦笑したまま小さく首を振った

「やりすぎ。選曲だけでもえぐいのに、よりによって完璧に歌っちゃうんだからさ」
祐里が呆れた感じでそう呟くと、光は涙目のまま両手を振ってそれを否定した

「竜ちゃんは悪くないからね。むしろお礼言わないと。本当にありがとう」
涙目の美少女に頭を下げて感謝されるという、人生初の緊急事態に竜也は思わず舌を出してこの場をどう乗り切るかと思案していた