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救いの手は即座に現れた

スマホに着信があり、「悪い、電話だ」と野球の試合でも見せたことのない素早い動きで竜也は部屋から出て行く
祐里が外の様子を伺うと、階段を下りて行くのが見えて不思議そうな表情を浮かべる

「電話するだけなのに、何で下まで行ったんだろ。ドリンクバーを取りに行ったわけでもないのにさ」
当然のように竜也のコップはそこに置いたまま。明らかに、場の空気が怖くなって逃げだした感満載

「光を“泣かせた”から、竜逃げちゃったよ。このまま帰っちゃってたら面白いね」
祐里がそう茶化すと、光はようやく一息ついたよう。目は相変わらず潤んだままだったが、ふふと笑みを浮かべている

「もし逃げたんだったら、一生許さないけどね」

祐里と光は、曲も入れずにしばし歓談の時
祐里の順番だが、さすがにこのタイミングでどんな曲を歌えばいいのという話ということもある

だいぶコップのジュースもお互い減って来ていることもあり、そろそろ取りに行こうかと二人が立ち上がろうとした矢先
部屋のドアが再び開いた

「竜、遅いよ。どこまで行ってたのさ」
そう声をかけたと同時、祐里と光は思わず来客にお互い目を一段と丸く大きくしている

「やぁ。来ちゃったよ」
そこに立っていたのは、得意気にドヤ顔を披露している竜也と共にショートヘアがますます映えていて、大人びた服装な美緒の姿

「光の“お別れ会”あるから来ない? って言ってみたらさ、ホントに来てくれちゃったよ」

千葉から、このためだけに本当に来るとは思っていなかった竜也の軽口

“そういえばさ、光のお別れ会やるんだよ。よかったら、美緒も来ない?”
渡島と話した後の電話で、竜也が冗談でそう言ったのだが美緒はそれを冗談だと理解した上で、わざわざ駆けつけてきた
竜也から誘われたのは嬉しかったのもあるだろうが、それ以上に大事な理由があったのは間違いない

「私たちは“戦友”だからね。光ちゃんが留学するってのは、竜也より先に聞いてたし」
どうやら“道予選”の時に既に聞いていたらしい
いや、俺にも教えてくれよって話なんだが。まあ、余計なこと考えさせるとまたドツボに嵌ると思ったんじゃないかな。知らんけど

「ビックリして言葉も出ないよ。てか荷物は?」
祐里が訊くと、美緒は小さく笑みを浮かべて頷いている

「おばあちゃん家に置いて来たよ。ここまで送ってもらったしね」
長旅の疲れも見せず、美緒は相変わらずの涼しい顔だったが竜也に座れと促され素直に従っている

「って、飲み物取って来なかったな。俺持って来てやるよ。烏龍茶でいい?」
美緒が頷いたのを見て竜也が再び戻ろうとすると同時、光が2つコップを持って立ち上がる

「じゃあ祐里の分も私が持ってきてあげるね。何がいい?」
有無を言わさぬそれに祐里は圧倒されつつ、オレンジジュースをお願いしている

階段を下りていると、後ろから光がついて来ているのに竜也は驚いている

「言ってくれれば。俺が分けて持って行ったのに」
竜也がそう言うと、ようやく普段の光に戻っている感じにふふと笑みを浮かべている

「竜ちゃん、ありがとね。いい思い出になったよ」
神妙にそういう光に対し、注いだコーラをなぜか一気飲みしつつ竜也はちっちっと右人差し指を振ってみせる

「お礼言うのはまだ早いって。ちょっくら優勝してくるって宣言してるんだからさ、それ決めてからまた言って」
ドヤ顔で拳王ポーズを決めている竜也に対し、光は笑みを浮かべたまま小さく頷いた

「だったね。じゃあ、西陵が優勝したら私は留学やめようかな。ここだけの話だけど、卒業してからでもいいと言われてるし」
まさかの申し出だったが、竜也はそれに小さく頷いてみせる

「じゃあ決まり。俺が西陵を優勝させるから、光は俺たちと一緒に卒業。そう、これはまさに...」
ドヤ顔継続で決め台詞を言おうとする竜也に対し、光はドリンクバーの前に立つと誰もが恋に落ちるであろうレベルの強烈な笑みを浮かべている

「まさにDestino.。それは竜ちゃんじゃなければ叶えられない夢ね」
口調は穏やかだったが、光の視線は真剣なそれ。本気で期待してくれてるんだと意気に感じ、竜也はまた頷いてみせる

「叶わない夢なんてないはずだしな。現に俺らはさ、普通ならこうやって呑気にカラオケに来れてるわけがなかったんだしさ」

そう。あんなプログラムがあったのに、なぜか無事に日常生活に戻ることが出来ている現実
未悠や渚の“アシスト”もあったとはいえ、竜也と祐里、光、そして美緒が一致団結してとことん逃げ果せたのが今の平穏な暮らしを維持できている要因なのは違いない

「ホントはね、美緒ちゃんも一緒に卒業できるのが一番なんだけど」
お怒りにより、美緒は親元に転校させられている。けれど、こうやって頻繁に予選の応援に来たり、遊びに来たりとさせてくれているのを見る限り、そこまで激しいお怒りではないのかも知れない

「往復5万だって。俺なら絶対無理だ」
竜也がこっそり旅費のネタバレをすると、光はいつものふふという笑み

「そういうとこが竜ちゃんよね。すぐお金の話するとこがほんと小さいよ」

その後竜也と光が部屋に戻ると、祐里がちょうど歌い終えたところだった

「お、次は美緒の番か。間に合ってよかった」
コップをテーブルに置きつつ竜也がそう言うと、祐里はマイクを叩きつけんばかりのポーズを見せる

「何それ。私の歌は聴きたくないっていうの?」
激高している祐里に対し、竜也は例によってリックフレアーポーズで許しを請ってみせる
いつものやり取りに、美緒と光はそれぞれ笑みを浮かべて頷いている

「いつも通りだね。戻って来たんだなーって感じがするよ」

確かに、道予選の時はこうやってゆっくり過ごす時間はなかったわけでね。買い物行ったりくらいは出来たけれど

「そういえば美緒ちゃん、こっちにはゆっくり居れるの?」
光が何気に訊くと、美緒はすぐに首を振って小さく笑みを浮かべた

「明日戻るよ。竜也と祐里も合宿に入るって言ってたしね」

甲子園に備え、明日からは合宿に入る。文字通り、今日が“光のお別れ会”をやるのにラストチャンスだった

「さすがに無理かなって思ったんだけどね。お父さんもお母さんも行きなさいって後押ししてくれて」
そう言って美緒はちらっと笑った