竜也と美緒は2人で函館山ロープウェイに向かっている
食事を済ませ、それぞれ帰宅の流れだったのだが
美緒が「わざわざ函館に帰って来たんだし、夜景見に行こうよ」とこっそりLINEを送って来ていたので、2人はこっそりと合流し市電を使ってからの坂登り
「まさか夜にまた昇るとはな」
竜也が苦笑するのも当然の流れ。西陵高校は坂上にあるわけで
「坂路トレーニングは体鍛えられるよ?」
相変わらずの健脚ぶりを披露しつつ、美緒はいつも以上ににこやかな笑みを浮かべていた
「あ、そうだ。竜也、これ」
美緒が不意に呼びかけたので竜也が振り返ると、美緒は財布から千円札を2枚取り出して渡してくる
「ん、援助交際?」
竜也がすっとぼけてそう返すと、美緒はふふと笑みを浮かべて首を振っている
「カラオケ代とラッピのお金。いいんだよ、私にはカッコつけなくてもね」
言って、無理にお金を押し付けてくる美緒に対して竜也はまた苦笑する羽目に
「美緒だけじゃないんだよ。祐里も光もしっかり金渡して来てさ、せっかくカッコつけたのが何も意味ないって話で」
帰宅する際に、光も祐里もそれぞれバレないようにしっかり“お代”を竜也に渡していた
むしろ“お釣り”の分を考えると、当初より手持ちが増えているのは気のせいだろう
「みんな考えることは一緒だね。キミにそういうのは求めてないってことかな」
褒めてるのかバカにされてるのかわからないことを言われ、竜也は何度か首を振った
いや、いいんだけどさ、けどなんかね...?
「つか美緒、寒くないか?」
8月とはいえ、夜はさすがに少し涼しく感じて来る
美緒の服装は大人びたそれで、かなり薄着に感じたので思わず竜也はそう声をかける
「うん、ちょっと肌寒いかなとは思ったけど。大丈夫だよ?」
美緒が微笑みつつそう返すと同時、竜也はバックからいつものパーカーを取り出すとそれを手渡している
「ないよりマシでしょ。これ羽織りな」
竜也らしからぬ出来た優しさをみせると、どこで覚えたのかなと呟きつつ美緒は素直にそれを受け取っている
「さすがに大きいね。どうせなら帽子も貸してもらえる?」
言って、美緒は竜也が被っていたキャップも借りるとそれを被ってみせる
「これで私も“制御不能”かな」
美緒が竜也を揶揄していると、竜也はまたバッグを開くと別のキャップを取り出して被っている
野球部なので練習は常に帽子をかぶっているのは当然なのだが、竜也は普段のプライベートでもほとんど帽子を着用している
理由は髪の毛直さなくていいから楽じゃん、という酷い理由からなのだが
パーカー、帽子はいつもの黒。美緒はショーパンからの黒タイツなわけで、完全な黒ずくめ状態
竜也も半袖黒シャツからの、黒パンツないつも通りの黒ずくめ
「不審者カップルだね」
またも美緒が揶揄しているが、あながち否定できないので竜也は笑みを浮かべて頷くだけ
ロープウェイに揺られること数分、2人は函館山頂上へ
普段はとても込み合っている展望台だが、今日に限って人はまばら状態でほぼ貸し切り状態
夏休み中の平日で、気温があまり高くないのが幸いしたというところなのだろうか
「久々に見たけど、やっぱりいいね。この景色」
夜景を見つつ、美緒が目を細めている
いや、ホント絵になるねこの子などと竜也が考えていたが、その美緒の姿がどこか引っ掛かった
「美緒、何かあったん?」
まさかの直球で竜也がそう訊くと、美緒はより一層目を細めたままふふと笑っている
「ホント嫌になるよね。何でこういう時だけ鋭いのかな」
美緒はあえて目線を竜也に向けないまま、静かにそう呟いている
それで竜也も美緒の横に並んで、同じように夜景に目を向ける。あえて目を合わせず、ただ横に並んでいるだけ
「別に言いたくないなら無理に言わなくていいから。ただ何となくそう思っただけだし」
例によってボソッと呟く感じで竜也がそう言うと、美緒は小さく頷いている
二人の間には穏やかな空気が流れている
「このまま時間が止まればいいのにね」
美緒が思わずそう呟くと竜也もつられて小さく頷いたが、やがてすぐに首を振ってみせる
「それも悪くないんだけどな。なんか違くね?」
言って、竜也は大きく伸びをする。しかしその動きには、どこか違和感を感じるそれ
もちろん美緒はそれに気づき、大丈夫? とすぐに声をかける
すると竜也は、ここだけの話だぞと前置きしてから美緒の目をじっと見つめる
「決勝戦でジャンピングスローした時の着地でさ、腰打ってから何か違和感あって。さっきカラオケで言われたとき、ドキッとしたわ」
まあ、たまに腰痛い事あったから大丈夫だよと続けると、竜也は美緒に向かって得意の拳王ポーズを披露
「これからも、俺についてこいって言うんでしょ?」
美緒が先に“決め台詞”を言ってしまったので、竜也は拳王ポーズをそのまま右拳を掲げるポーズへと移行している
「こないだね、親と少し揉めちゃって。やっぱり竜也たちと一緒に卒業したいって言ったら怒られちゃってね」
だからこそ、今日は遊びに行きなさいって言われたんだと思うよと美緒が続けている
確かに一緒に卒業することはできないし、この後の進路がどうなるかもわからないわけで
何となくの友人関係のままフェードアウトしていくのかな、という感じは内心竜也も感じていた
なにせ住む世界が違うわけですし。向こうは上級国民で、こちとら一般庶民
「同じ大学行ければいいんだけれどね。誰かさん全然進路教えてくれないし」
美緒がそう愚痴っているが、竜也はそれに気づいていない様子でスマホを取り出しての電話中
「ん、ごめん。何か聞こえづらいわ」
竜也がスマホにそう向かって誰かと話していると同時、今度は美緒のスマホにも着信が来る
「ん、誰だろ」
美緒が呟きつつ受けると、竜也と同じくなにか聞き取りづらい感じがするそれ
「美緒ちゃん、今どこいるの?」
光からの電話だった。珍しいなと思っていると、すぐに別の声もそこから聞こえてきた
「ねえ美緒、あなた竜と一緒にいるよね? 同じような聞こえづらさだよ?」
あっという間の身バレだった。とぼける気もなかったので、美緒は悪びれもせずにそうだよと答えている
「まあわざわざ千葉から来てくれたんだから、それくらい仕方ないかあ」
もっと責められるかと思いきや、あっさり妥協してくる祐里は想定外
なんだ、祐里と光は一緒なのかと竜也も苦笑しつつ、さり気に通話を終了させている
「大丈夫だよ。私たちはそろそろ帰るとこだしね」
スマホに向かってそう言いつつ、美緒は竜也のほうを見てちらっと笑った