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ベンチから“臨時代走”で和屋が1塁へ走り、それから正式な代走を送る形になる
竜路が代走で向かおうとしていると、渡島はそれを制してお前は代打だ。那間、代走で行けと指示

須磨と高井に支えられながら戻ってきた竜也は、急遽打席に向かう竜路に対して内角ストレート一本に絞れ。後はわかるな? と小さく笑みを浮かべてそう呟きながらベンチへ戻っていく

スタンドから悲鳴のような大歓声が上がる中、竜路は甲子園で初打席を迎える


§


「何で杉浦さんは簡単にヒット打ててるんですか? やっぱり打球の角度とか速度とか?」
いつぞや竜路に訊かれ、竜也が返したアドバイスは至って単純だった

「簡単なことだぞ。人がいないとこか、人がたくさんいるとこに打てばいいんだって。俺は今まで角度や速度なんて考えたことなかったわ」

今なら少しわかる気がする、と竜路は内心思う
“紅白戦”で、『どうしてヒットにならなかったかわかる?』の意味は、まさにそのアドバイスそのものだったということ

身長こそ高いが、細身でどう見てもノーパワーにしか見えない竜路だけに、相手バッテリーは気を取り直して力勝負で押してくるという竜也のアドバイス
医務室に行かず、ベンチに寄り掛かるように立って戦況を見つめる竜也に気づき、竜路は一人再び頷いている

初球のフォークを派手に空振りすると、相手ベンチやスタンドから歓声とヤジが飛び交っているが、竜路の耳にそれは届いていない

“次はボール球で誘い、そしてその次がインコースのストレートでファウルか、詰まらせてゲッツーを狙ってくる”

竜也並みまでとは行かないが、竜路も戦況と配球読みには長けている。だてにベンチやスタンドでずっと試合を見続けているわけじゃないという気概
杉浦さんが死に物狂いで作ってくれたこのチャンス、絶対に俺がモノにしてみます!

2球目は案の定フォークが来て、竜路は悠然とそれを見送る。あまりにも自信満々に見送ったように見受けられ、今度は西陵側応援スタンドがにわかに活気づく

打て! 打て! 貴崎! の大声援が響く中、佐々木労基の投じたインハイストレートを、竜路は狙い打ちの如く強振した

打球は低い弾道に一瞬見えたが、急に角度を変えものすごい速度でライトスタンドへ消えていった

「...やりやがった」
相変わらずベンチに寄り掛かったまま竜也は一人頷いている中、西陵ベンチは反撃の狼煙とばかりに今までの空気が一気に盛り上がったのだったが


§


そういえば素朴な疑問があるんだが、と松山が呼び掛けたので竜也は改めてん? という感じで視線を戻すと松山が続けている

「ホームランボールって部室に飾ってあるのか?」

真顔でそう問われ、竜也は思わず苦笑して首を振る。んなわけないじゃんって

「係員が回収してると思うぞ。プロ野球じゃないんだからさ」
竜也がそう返すと、松山は訝しげに首を振っているのでどうかしたかと逆に訊く羽目に

「いや、あのとき一人の女の子が拾ったの見たんだよな。俺レフトスタンドにいたからさ」

なんでも松山もアンダー世代の合宿で札幌にいたとのこと。とある選手(きっと酒井のことだろう)から午後休むという話を聞いて、俺も行ってみるかという感じで追随していたらしい

「きっと回収されてると思うぞ。世知がない世の中だからな」
竜也がしみじみそう返すと、松山はようやく納得したように頷いていた

竜也が降りる電停が近づいてきたので、それじゃあなという感じでその場を離れようとすると、松山はじゃあなと言いつつ、もう1個だけいいか?と呼び掛けたので竜也は思わず立ち止まる

「文化祭、楽しみにしてるからな」
言われ、竜也はすぐに被りを振る。いや、今年は出ないぞと

「春川も水木もいないからさ。俺と進藤だけじゃ演奏なんてできねえよ」
即答され、松山はにやりと笑みを浮かべる

「野球で燃え尽きてない上に、文化祭まで...なあ杉浦、やっぱりお前サッカー部入らないか?」
とんでもない申し入れだったが、竜也ははいはいという感じでそれを受け流すと、また学校でなという感じでその場を離れる。軽く右腕を挙げて

電車を降りつつ、竜也はまたいつものかよと思い、一人思いに耽る

中学の授業で、松山からのパスをたまたま左足でトラップし、右足でボレーシュートを叩き込んだワンプレイ
『偶然だぞ』で済まさせるそれを、松山はずっと評価してくれていて、事あるごとにサッカー部へ勧誘をしていた

やがて高校も一緒になり、竜也が一年から野球部のレギュラーを獲得したというのを聞いて、杉浦なら当たり前だろという松山の賛辞
自分もサッカー部で1年からMFのレギュラーで、アンダー候補とまで言われているのにおごった様子は見当たらない
イケメンなのに泥臭いプレイが売り。普通ならモテモテになるところだが、残念ながら一人の美少女と仲睦まじいとのことで、言うほどバレンタインにチョコを貰っている様子は見受けられない


閑話休題

『松山って知り合いか?』
素朴な疑問を酒井にLINEした際に、ふと気になる通知が目に入った
ここ数日、心此処に非ずを地で行っていたので、気づかなかったそれ

『彼氏ができました。もう連絡しないで』
松村未悠からの“戦力外通告”が届いていたので、竜也は一人天を見上げる羽目になった
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